代表挨拶

お墓創りへの想い

当社は、ただのお墓を建てている石材店ではありません。『きれいが長く続くお墓創りの専門家』の石材店です。

私が「きれい」にこだわる理由は、石材業に約20年携わり、これまでに累計1,000件以上のお墓工事を手掛けてきた経験に基づいています。建墓、リフォーム、納骨、戒名彫りなど、多岐にわたる仕事を通じて、多くの墓地を見てきました。その中には、しっかりとメンテナンスされ、きれいを保っているお墓もありますが、反対に、草木が生い茂り、石塔がずれたり、外柵が壊れたりしている、手入れが行き届いていないお墓も少なくありませんでした。

近年、お墓のデザインが個性的で複雑なものが増えてきています。しかし、私はお客様にデザイン墓石をお勧めすることはありません。その理由は次の2点にあります。

1.複雑な形状のお墓は汚れが付きやすく、ほこりやゴミがたまりやすい。
2.お墓は一代限りのものではなく、家族で代々受け継いでいくものである。

私は、デザインよりもシンプルで、長くきれいが保てるお墓こそが重要だと考えます。建てた直後が最もきれいなのは当然ですが、お墓は屋外にあり、常に雨風にさらされています。年月が経つにつれ、汚れがついてしまうのは避けられません。お墓参りに毎日行ける方は少なく、多くの方は年に数回しか訪れないでしょう。そのため、お墓を長く使い続けていただくためには、「きれい」が長く続くことがとても大切だと考えています。

また、日本は地震が多い国であるため、お墓の安全性も非常に重要です。当社では、最新の技術を活用し、石塔が倒れたりずれたりしないよう、しっかりとした基礎工事と耐震対策を施しています。これにより、長年にわたって家族が安心してお墓を守り続けることができます。

私たちは、地震に強く、きれいが長く続くお墓創りを目指しています。

有限会社近藤石材店 近藤石材店
代表取締役 近藤洋

プロフィール

出身

千葉県八千代市

生年月日

1984年6月18日(40歳)

好きな言葉

置かれた場所で咲きなさい

趣味・好きな事

野球・ソフトボール・ジグソーパズル

家族構成

妻知美と3人の子供の父

学歴・職歴

2003年3月

私立八千代松陰高校卒業

2007年3月

東洋大学工学部建築学科卒業

2007年4月

有限会社近藤石材店に入社と同時に取締役に就任

2024年9月

有限会社近藤石材店の代表取締役に就任

幼少期~学生時代
千葉県八千代市出身 先祖代々石工の家系である、1984年に近藤石材店の長男として生まれる。
幼少期から石材加工ができる工場を兼ねた自宅で過ごし、事あるごとに石の上に登って遊んでけがをするといったやんちゃな子でした。また、遊びにいくという3代目の父に連れられて、よく現場近くの公園や庭先で遊んでいました。
小学校3年から地元の少年野球チームに所属して、中学、高校と野球部一筋で汗を流した学生時代でした。ものつくりに興味があり、でっかい家を自分で建てたいと想いをもって東洋大学は建築学科に入学し、製図や構造といったことを学びました。

20代前半
人生の転機となったのは21歳の大学3年の冬でした。父である3代目が突然の病気で亡くなってしまいました。就職活動を始めたばかりで一旦社会に出てから、家業の石材店に戻ることもありなのではと考えていたのですが、内定をけり就職活動を中断し家業を継ぐことに決めました。大学4年時は学業と近藤石材店のアルバイトとして、夏休みは知り合いの会社に1ヶ月半修行に行って、石屋としてのスキルを学びました。大学卒業後は近藤石材店に就職し、石工として働きだしました。

20代後半
近藤石材店に就職してから、数年間は普通の職人として人並みに働いていました。そんな自分の仕事観を大きく変える出来事が突然しました。それは26歳の時の2011年の3月に「東日本大震災」がおきました。ここ千葉県でも、建物や墓地にかなりの被害が出てしまいました。地震があった日もそうですが、あけた翌日からは今まで感じたことのないぐらいの電話が鳴り続け、毎日墓地の修理依頼が累計で300件を超えたことを覚えています。2011年は毎日毎日朝から暗くなるまで、墓地に行っては傾いたり、ずれり、壊れてしまった墓石の修理を行っていました。この東日本大震災の経験が1人のただの職人から、石工になれたと思います。

30代前半
30代になり仕事にも慣れてきたころ、仕事だけでなく何か地元とのつながりが必要なのではと思っていたころ、地元の先輩から、八千代青年会議所への入会のお誘いがありました。
青年会議所に入会すると、八千代市をはじめ近隣の多くの経営者仲間と知り合うことができ、様々な業種の方と話をする機会を得たことで、仕事の幅が一気に広がりました。
そして、33才には妻知美と結婚し、同時に2児の父にもなったことで、責任を持った立場になったことで、より一層仕事に打ち込むようになりました。

30代後半~現在
2020年にコロナが流行したことで、仕事のやり方も変わりました。全て現場での打ち合わせ、紙での書類作成などが昔ながらの石屋でしたので、仕事にWEBやITの活用を積極的に取り組みだしました。
また2020年には次女紬が産まれ、5人家族になりました。

そして30代後半は経理担当だった4代目近藤昌子から、会社の会計を引き継ぎ、現場だけでなく会社の資金の流れを学び、代表交代への準備を進めていきました。
2024年に私が40歳になり、先代の母が70代になったこともあり、2024年9月に代表を交代するという運びとなりました。